天空の黄金龍、その伴侶たる者の物語。
第1章 年老いた武人は如何にして余生を過ごすのか?
第1話 始まりの村1
(その1)
今、私の眼の前には、古き時代の龍がいる。巨大な体を空中に留め置くにふさわしい巨大な翼を広げて悠然と浮かんで居る様は、自然の摂理をあざ笑うかの如き存在感を醸し出している。
恐ろしい程の魔力が体の中に内包出来ずにその巨体からにじみ出ていて、漆黒の巨体を淡い不思議な輝きで包み込んでいる、異彩を放つその勇姿は神々しくも有り、また禍々しくも有り、得体の知れない感情を対峙するものに与えていた。
異様な静けさの中、まるで混沌とした時空の歪みが事世の有り様を嘆くが如く、彼の者の周りを只ならぬ気配で覆いつくす、この世の終わりを予見するかの如く。
その巨大な龍が、巨体に違わぬ翼をゆっくりと静かに羽ばたかせながら、高みから私を見据えている。その表情からは何も伝わってこない、龍なのだから当たり前では在るのだが、ただ全身から漂う圧倒的な存在感と眼光から放たれる殺気は紛れもなく凄まじい。
しかしその眼からは、哀れみに似た感情が読み取れる。まるで虫けらの如く見下されているかの様だ。
彼の者にとって私など吹けば飛ぶような羽虫の如き存在なのであろう、まるで歯牙にもかけてはいまい、この世に生を受けし生き物の頂点に君臨する、龍の王で有るのであれば当然の思慮ではろうが、私とてむざむざ屍を晒すつもりはない。
私のまたがる愛馬が身震いする。怯えているわけではない、今まさに生きとし生ける物の王たる古の龍と、刃を交えんとする事に喜びを見出しているのだ。
私の友たる古き相棒の気持ちの高ぶりに誇りを感じながら、長年連れ添ってきた長槍を握り直す。
さあ。やろうでは無いか、殺し合いを。最後に大地に立つは私か彼の者か? 誉たる栄光を手にするはどちらか、雌雄を決しようでは無いか。
古より存在し得る、最古の龍の咆哮により、戦いの火ぶたが切って落とされる。
霊峰の名をいただいた山間の人知れぬ神脈のほとり、誰にも知られず、如何なるものも存在しえないその場所で。
★★★★★★★★
山間の細道を壮年の男が馬に揺られながら進んでいる。しとしとと降り続いている雨を厚手の外套を兼ねたローブで防ぎながらの馬行である。
鞍の前には幼い子供が身動きもせず眠っている、赤子の頃から馬上での旅をしているこの子にとって、もはやその場は己のゆりかごと化しているとはいえ、此の雨には堪えている様だ。
いくらローブで雨を凌いでいるとはいえ、春先の気温は幼子には堪えるものだ、ましてや雨が降っているともなれば尚更である、いくら厚手の外套で雨を凌いでいるとは言っても、外套から流れ落ちていく雫が、その子の体温を容赦なく奪っていく。
母親のぬくもりを知らず、母の愛情を知らない子供では在るが、せめて我がぬくもりで体を温めてやる事しか出来はしまい。その事に憐れみを感じながらもその男は馬を進めていた。
いつもの、馬の歩みの揺れと、微睡と覚醒の狭間で心地よさに身を任せていたが、ぶるると震えて身を起こす。多少の湿気と人と馬との体温で熱気の籠る外套から、欠伸をしながら顔を出す。
目に映るのは、馬の頭と濡れそぼった鬣、その前方には小粒の雨で、澱みを含んだ大気が霞のように広がっていた。
馬の耳がこちらを向いている、子供が目を覚ましたことを感付いたようだ。
「おはようエクセレント。あいにくの雨だね」
この馬とは長い付き合いだ、物心ついた時から一緒にいるので良く分かる。目を覚ました自分に耳を向けて挨拶しているのだ、子供の掛けた言葉に”ぶるる~~”と一言いなないて『この時期は仕方ないさ』と達観したように答えた。
「なんだもう起きたのか。もう少し寝て居なさい、先の村まではもう少しかかりそうだ」馬上の男が、気だるそうに話す。
幼子には馬での旅は堪えるものだ、せめて馬車での旅をしたいものでは在るが、この馬は荷を引きたがらない、鷹揚にプライドが高く、気難しいのだがその気高さが戦場では大概役に立った。しかし乗り手と共に老いには勝てず一線を引いているのだが、未だに譲らぬ矜持は持ち合わせて居るのだ。
「もうたくさん寝ました,父上。少し小降りになりましたが、この雨は止みそうにないですね、エクセレントが濡れて可哀そうです」
と男を見上げながら齢三つの子にしてはおしゃまな話し方をする、この男がこの子に、子ども扱いをしてこなかった弊害が此処で出ている。
子供らしくない答えに臆する事も無く鼻を鳴らしてクツクツと笑いながら男が静かに言葉をかける。
「多少濡れたところでこいつは堪えんよ。散々いくさば・・・野山を駆け回って川や沼を渡ってきたのだ、程よい汚れ落とし程度であろうさ」言われた馬が抗議のいななきと共に、首を激しく振る。
どのような野生生物であれ自ら体を濡らす事はしない、特に春先で気温の低い時期には害虫の駆除を目的とした砂浴びはともかく、水浴びなどもってのほかだ、川に中で生きる生き物とは違うのだ。
体温を維持するのに程よい脂肪と毛皮、それと強靭な筋肉に身を包んだこの体は野山を駆ける事に特化している、分厚い脂肪を携えては長く早く走れはしないのだ。
「エクセレントも嫌だと言っています、僕も濡れるのは嫌いです。早く晴れると良いのですが」と相変わらず子供らしからぬことを言う。
「晴れぬ雨などこの世にはないさ、いずれ太陽も顔を出さねばなるまいよ。それより寒くは無いか、アベル」
この子の名はアベリハル。この子の両親が名付けた、誰からも愛される子になります様にと願いを込めて、間にもういくつか名前が入るが、今のこの子には必要のない名だ。
「大丈夫です寒くは有りません、それより龍と乙女のお話をしてください。あの後どうなったのですか? 助け出されたのでしょうか?」
大概目を輝かせて上目づかいに見上げられると、かなりの破壊力では在る。男は何時もこの攻撃に、口下手では在るが重い口を開いてしまうのだった。
ぼそぼそと語り始めた男の声と、目を輝かせて相槌をうつ子供の声は、先ほどの受け答えとは違って年相応の子供との言葉の応酬となる。馬のひづめの音が音のしない雨粒と共に細い街道に静かに流れていく。
物語と同様、旅の道程にも必ず終わりがやってくる。若者が機転を利かせて龍の束縛から娘を助け出した所で、物語の終焉を迎えた丁度その時、今日の旅の行程の目的地でもある村の入り口が見えてきた。
数ある物語同様に、助け出した男と、助け出された娘のその後が語られることも無く、娘の男に対する感謝と祝福で幕を下ろした物語を、感動という感情に揺さぶられていた気持ちがアベルの中から消えていく。
(その2)
村に入り口付近を簡単な策で塞いで、数人の男たちがこん棒や牧草用のフォークを持ち出して来て殺気立っているのだ。此処は街道筋で、道を塞いで良いはずが無い。
この村は、馬上の男と子供が向かっている交易都市までのちょうど中間地点で、昔は野宿の為の施設であったものが、荷馬車を引く馬の休息所や人の宿泊施設が出来ると同時に馬の世話や施設での労働力として人が集まり出したことで、集落として発展していったのだった。人が集まり始めるとその人達をターゲットにした商売が派生するのは当然で、結果村としての規模まで栄えてきたのだ。
「とまれ!!。 名前と目的地を話してもらおうか?」
その村の入り口を塞いでいる男たちが推挙する。巨大な騎馬と体格の良い男の姿に、その声は多少震を帯びているがはっきりと聞こえる物だった。
「ふむ。名を名乗るのも、やぶさかではないが。訳を聞いてもよろしいかな?」と馬上の男は落ち行きはらって答えた。のほほんとした答えに若い男たちが激昂していく。
「何だと!!」「もう一片言ってみろ!!」とがなり立てて今にも槍やフォークで突いてきそうな勢いにも、馬上の男は慌てることなく微動だにしない。
アベルにしてみと今にも事が起こりそうで恐怖の対象になりそうでは在るが、如何せん日常的に争いごとを経験している身としては、相手を可哀そうにと思う事しか出来なった。
「待て待て。お前たちのかなう相手ではない、・・・騎士殿とお見受けいたします、ご無礼の段ひらにご容赦を。つい先ほど近くの村が賊に襲われましてな、今対応に追われている所なのです。今し方、村の自警団と若者を中心に救助に向かわせておりましてな。この村は守り手が少なく、うかつに旅人を迎え入れる事が出来ない状況でして、取り敢えず事が治るまでは、何人もここを通す訳には参りません」
太くて長いこん棒を手に持ち、僧服に身を包んだ筋肉質で体格の良い年配の男が、頭を下げてこの村の現状を説明した。
「あい分かった。わが名はフォスター・エアハート、見ての通りの年老いた武人だ。目的地は取り敢えず先の交易都市だが決まっている訳では無い。しかし我らとてこの雨に難儀しておってな、もうすぐ日も暮れよう。出来れば泊まる事の出来る部屋を貸してらえると有難いのだが、どうであろうか?」
と鷹揚に提案してみたものの、現状ここを通して貰えそうには無かった。
「ご丁寧に名乗りを上げて貰えて有難うございます。私はこの村の教会で司祭を賜っております、カルシス・バームストーンと申します。迎え入れたいのは山々ですが、なにぶん状況が良くありません、今暫くのご辛抱を願えぬでしょうか?」
小さな村とはいえ、司祭を賜っているだけの事は有る、先程の血気盛んな若者とは対応が雲泥の差である。
村の中で休みたい馬上の男と、厄介ごとを避けたい村の守り手の言葉の応酬がしばらく続く中、フォスターと名乗った男が、ふと何かに気がついた。
会話をいきなり中断して森と畑の境目を見つめている、つられて村の守り手の若者たちもその付近を見るが何も変わったところはない。
「如何なされた、フォスター殿」
馬上の男が見つめる先に不審な点を見出す事の出来ない司祭が問いただす。
「先程、近くの村が襲われたと言いましたな?」
司祭のカルシスの問いには答えず、森と畑の境界を見据えたまま。近隣の村が盗賊に襲われた事を確認するフォスター。
「はい、先ほども申した通り、その為村の守り手が居ないので、現在は見知らぬ方の入村は控えて貰っております」
カルシスは、散々今までその事を話して居たではないかと想いはしたが、フォスターの問いに丁寧に答えた。
「成程。陽動で戦力の分散を計るとは中々やりおる」
と呟いて、何かを掴み取る仕草をする。するといつの間にか手の中に、長弓と矢筒が握られて居た。
「なっ! 何を為される、フォスター殿」
カルシスは、何も無い空中から、物を取り出した事にも驚いたが。今まで平穏に言葉を交わして居た相手が、いきなり武器を手に取り剣呑な気配を漂わせた事に驚愕した。
馬上の男が、自分達の村の司祭で有るカルシスと穏便に話して居た事で、完全に油断して居た村の守り手達は、気持ちの面で後手に回る。凶悪な武器を手に取った相手に、威嚇どころか呆然として立ち尽くして居たのだ。
フォスターは矢筒を鞍にかけると、長弓の弦を張る。すかさず矢を3本引き抜くと、おもむろに矢をつがえて、矢継ぎ早に矢を放つ、その間わずか一呼吸という早技だった。
呆気に取られたカルシスと村の門を守って居た若者は、無造作に放たれた矢の行方を目で追って居た。
村の畑と森の境界に放物線を描きながら飛んでいく矢が、何かに突き刺さる。すると木の枝に隠れながら、今まさに矢を放つ寸前だった男達が悲鳴を上げながら転げ落ちてきた。
「敵襲!!。 敵襲だぞー」
カルシスが村の若者達へと叫ぶ。
事、有事において、襲われる側は情報の周知を徹底する。決まり事でも有るのだろう、子供と言っても差し支え無い年齢の男が、大声で賊が襲ってきた事を叫びながら、村の中へと走っていく。
カルシスは、手に持って居た棍棒の感覚がいきなり消えた事に驚いた、無理やり奪い取られたのでは無い、握って居た手の中から忽然と姿を消したのだ。
先程まで話をしていたフォスターが自分の棍棒を手に持ち走り去って行く、いつの間にか持ち主を変えた棍棒にとやかく言うつもりはないが、それよりもわらわらと森から出て来た賊の数に驚いた。
ゆうに三十人を超えて居るのだ、この人数に奇襲されてはこの村を守る事など出来はしない、抵抗して人死を出すよりは賊の要求を飲むしか有るまいと、両手をあげて無抵抗をアピールする。
★★★★★★★★★★★★★★★
(その3)
その少し前、村の動向を森の木々に隠れながら伺う人達がいた。別の村を襲っていた別働隊が合流するまでの間、かなりの時間この村を観察をしていたが、事は思い通りに推移して居る様だ。
別に人を殺めるつもりは無い、ただ食糧が欲しかっただけなのだ。
この集団は統制が取れて居た、それは当然で、かつては国を守る盾として国境の国防を任されて居た軍人たちなのだ。その国があっさりと帝国に膝を屈した。
隣接して居た大国のアズール帝国が攻めて来たのだ、山間部と高原を国土として居たティムダニア王国にとって、彼の国が攻めてくるのは時間の問題だったとはいえ、まだ十数年は先だと中央は考えて居たのだ。
アズール帝国からの攻め口がマーレイル辺境伯領しかない事が判断を誤らせた。徹底抗戦を謳い国土防衛を指示してきた国王と閣僚たちを信じてマイレイル辺境伯はこの一ヶ月戦ってきた。
辺境伯の称号に見合うだけの働きをして来たつもりではあったが、あっさりと中央の閣僚達が自領の安泰を引き換えに国を売ったのだ。
侵略してくる国の軍隊は得てして傍若無人な振る舞いをしてくる。国土と国の人民を守る為にと、その信念だけで闘ってきたマイレイル辺境伯は、その売国土達に裏切られた。
辺境伯軍は瓦解した、あろう事か援軍だと信じていた国王軍が自軍を攻撃してきたのだ、前後から攻め立てられてはどうしようもなく、辛うじて息子夫婦と幼い孫を信頼できる部下数十名と共に冬の山脈越えで逃がしてやる事しか出来なかった。
幸運な事に、帝国の支配を良しとしない山の部族の助けを借りて、誰一人欠ける事なく隣国へとは逃げ仰せたのは良いが、深い魔の森に囲まれた廃村後に腰を落ち着けた辺りで万策が尽きた。
着の身着のままの逃避行で、金銭はおろか食糧さえも持ち出す事が出来なかったのだ。ただこの時期は何処の村も厳しい冬を超えて食糧が少ない、そこに恵んでくれと頼まれて”ハイソウデスカ”と言って大事な食糧を渡してくる村が在るとは思えないのだ。
仕方なく盗賊まがいの行為で食糧を賄う事になったのだが、村人に危害を加えるつもりは毛頭無い、武威を見せつけて戦意を消失させた後で、この辺りに潜んでいる盗賊の討伐の打診を交渉材料にして、食糧を分けて貰う腹積もりでいたのだ。
「ブライアン様如何ですか?」
森の外れから街道筋の村の入り口を注意深く見つめて居た男に背後から声をかけた者がいた。
声をかけらけた男はブライアンと言う、辺境伯の息子で今は落ち延びた部下と家族を、何としても護らなければならない立場にいる。
「キルシスか、陽動は上手くいった様だな」
声をかけた男は、長らく辺境伯領の騎士団を統括して居た男で、年齢を理由にマイレイル辺境伯軍の騎士団長を後人に託しはしたが、まだまだ現役には負けぬ気力と体力は有る。
陽動の為に10人ほどを率いて近くの村を襲う芝居をして貰っていたのだ、今し方本隊に合流してきた所だ。
「厄介な御仁がいる。彼を抑えるのに腕の立つ者が5人。いや8人は必要だ、彼が引いてくれたら我らの思惑通りに成りそうなのだが」
ブライアンは馬上の男が、村の入り口を護っている者と会話しているのをつぶさに見ていた、そのまま立ち去るのなら良いが、村の中へと入られると厄介だ。どうした物かと考えて居た。
「あの武人ですか? 確かに腕は立ちそうですな、今回は諦めますか?」とキルシスが中止するかと聞いて来た。
「そうもいかん、食糧が無くては生き延びる事など出来ん、業腹だが盗賊まがいの事でもしなければ我らの明日はない。仕方がない彼が村に迎え入れられる前にはじめるぞ」
あらかじめ、木の上で待機していた部下に村へ弓を射る様に伝える。村人へ射かけるのを厳禁されている射手役の三人は、本能的に強者の排除を試みる。村人でなく旅人であれば命令違反にはならない、しかしあろう事かブライアンが懸念していた馬上の男に狙いを定めたのだ。
フォスターが殺気を感じて反撃に転じた事で、矢を射る前の三人が木上から転げ落ちて来た。ブライアンは心底驚いた、先制を期す筈が反撃に遭い大事な弓の射手が負傷して戦線から脱落したのだ。
「なっに!。カレン、バージ、ムクサ、大事無いか?」
ブライアンは、奇襲を指示した途端、木の上から落ちて来た部下に怪我の有無を尋ねた。
「だ、大丈夫です。まだ戦えます」
バージとムクサは強がっているが、肩を射抜かれて動けそうに無い。カレンに至っては弓自体が損傷していた。
あの武人が狙ったのかは分からないが、急所は外れていて命に別状は無さそうなのが救いでは有る、しかし大きな戦力ダウンである事に変わりは無い。
フォスターは撤収する事を考えるが、どういった訳か、その武人が街道を馬を走らせて戻って行く、まるで厄介ごとはゴメンだとばかりに。
襲撃の続行を指示したフォスターは、ゆっくりと森から出て行く、戦いの基本は戦力の誇示だ。相手より多い戦力を見せつける事により相手の敵愾心を挫く、そうする事で戦わずして勝利を収めることができる。
この村も、抵抗する事なく降伏を選択する様だ、多少血の気の多い若者を2人か3人張り倒せば最早目的は達成される。
「思惑通りに行きそうですな」とキルシスが勝敗は決まったと落ち着いてブライアンに話しかけた。
「そうだな、無抵抗の住民には手を出さない様に部下に徹底させてくれ。さて、最悪な交渉はさっさと済ませるか」
そう言ってブライアンは武器を置き両手をあげて無抵抗を示唆している一団へと歩いて行く、力の誇示で食糧を強奪するに等しい行いを正当化するわけでは無いが、背に腹は変えられない。幼い息子と妻や娘、自分に付き従って来た部下達の未来が掛かっているのだから。
(その4)
矢を放った馬上のフォスターと、森のきわで射抜かれて落ちて行く弓を持った賊と見られる人間に気を取られて居て、カルシスの注意が散じ、フォスターは易々とカルシスの棍棒をせしめて居た。
「村の人を助けないのですか?」
街道を戻って行くフォスターに疑問を投げ掛けるアベル、彼が戦いをしかも盗賊に襲われている村を放って置くのは、腑に落ちなかったのだ。
「アベル、盗賊であればあれだけの統率された戦闘行動など出来はしない、そのまま蹴散らせば済むが、あれは何処ぞの軍閥だ。数は少ないが戦いに長けている、無闇に突っかかって居ては、良い結果にはなるまいよ。それに殺気がまるでない、村を襲う行為自体欺瞞かも知れんな。だが村を襲っている事に変わりは無い、そこで奇襲をかける」
そう言うと、おもむろに街道の脇へ逸れていく様にエクセレントを操作する、どうやら逃げ出したと敵に思わせて背後から奇襲をかける思惑の様だ。
疾走していた馬を並足に変えてまばらに生えている木々を巧みに除けながら、賊の背後へと忍び寄る、エクセレントも心得ている様で足音を立てずに歩いている、結構器用な馬なのだ。
僧衣を着た大柄の人物を中心に若者で構成されている村の自警団が見守る中、ゆっくりと近づいて行くブライアン。あえてゆっくり近づいて行くことで恐怖心と懐疑心を植え付けてはいるが、剣は腰に下げたままで、鞘からは出してはいない、代わりに槍代わりの棒を手に持ち相手に対して必要以上の威圧感を出さない様に気を使っている。
そもそも村人を守る立場にいた彼等からすれば、村を襲撃して食糧を奪い取る事に罪悪感が無いわけが無いのだ。
目的は食糧の確保なのだ、村の占拠ではない。本来なら金銭での交渉で食糧の購入をしたいところでは在るが、金品を持ち合わせて居ない彼らには此の方法しか思いつかなかったのだ。
恐怖と怒りの入り混じった感情を向けられながら、自警団の前までやってきたブライアンは交渉役に僧衣に身を包んだ御仁を選んだ。他が年端もいかない子供や成人したての若者であれば当然と言える。
交渉の口火を切ろうと声を張り上げる前に、ブライアンを呼ぶ声がする。
「ブライアン様~~。敵襲です」
振り向くと、先程疾走して街道を戻っていった騎馬の武人が仲間を打ち据えながら近づいて来る。騎馬と徒士では機動力に差がある、どんなに頑張って走っても人間の足では馬に勝てないのだ。本来騎馬の対抗策として密集して馬の足を止めた後、騎乗の人間を引きずり落とす方法が在るが。今回はこちらの戦力を多く見せる為に散開していたことが裏目に出た。
騎馬の武人は、馬の機動力を駆使してブライアンの仲間を各個撃破していく、あっという間に半数以上が打ち据えられて身動き取れない状態へと変わって行く。
余りにも状況が早すぎて思考が追い付かないブライアンでは在るが、そこは後ろで呆けている村の自警団も同じだった。本来なら救援が来た時点で反撃に出るべきなのだが、騎馬の武人の鮮やかな手並みに見とれていて動けないでいた。
ようやく状況と思考がかみ合って、如何するべきなのかを把握した時にはその馬上の武人が大半の仲間を無力化した後だった。数が少なかったとはいえ恐ろしいほどの早業に寒気がしてくる。本能が此の武人とは事を構えるべきではないと謡えていた。
勝利の核心と油断に加え、彼の御仁の武威に我を忘れていたとはいえ、本来戦闘中に思考を止める行為は敗北を意味する。事実馬の乗り手が、仲間のほとんどを打ち据えて身動きでいない状態にした後、こちらに近づいて来た。
もうその時点で敗北は必至なのだが、戦を生業とする武人としての本能が手に持っていた槍代わりの棒を武人に向けて構えていた。
最早ブライアンと数名しか残って居ないが、仲間を打ち据えられた事で殺気立つブライアン達に意識を向けるではなく、周りを睥睨しながら彼らの前まで馬を進めて言い放つ。
「ふむ。・・・・殺傷の武器を使わずに村を制圧しに来たか、目的は何かな? 占拠ではあるまい。今なら釈明を聞く用意があるぞ」
ブライアンは彼を見つめて観察する、恐ろしいほどの戦闘能力にどれ程の威圧が有るかと思えば、無造作に持っている棒とその気配に殺気立った気概はない。それどころか今その武威の片りんを見せたというのに、街中を散歩しているが如く自然体で鷹揚とした態度に好感が持てた。極めつけはその武人の前に座って雨除けのマントから顔を出している子供だ。
その子を馬に乗せながら我らを戦闘不能にしたその技量にも驚いた。こと戦いにおいて不利な状況にも関わらず勝利して見せた技の冴えもさる事ながら、我らが村人達に危害を加える気がない事を瞬時に見て取り、ブライアンの仲間を殺める事なく無力化して退けたその心意気に感じ入った。
ブライアン達を観察するように見つめていた幼子と目が合った。見られていると感じた子供がはにかみながら会釈をする。その出来事がブライアンの気持ちを解きほぐす、育ちの良さげなその子を見て、ブライアンは我らの進退をこの年置いた武人に預ける事を決意したのだ。
この子の親であれば我らのことを無碍にはしまい。彼は手に持つ武器を脇に置き片膝をついて服従の姿勢をとる、それを見た彼の部下達も後に続く。
「私はティムダニア王国、マイレイル辺境伯が長子ブライアンと申します。アズール帝国の侵攻に対して国の盾となり戦い抜いてきましたが、王国の宰相らの裏切りによりて国を追われる身と成り果て申した。然りとてそのまま朽ち果てるに任せるには口惜しく、我が父辺境伯の願いに一族の延命を託された我は隣国であるこの国に逃げ延びてきた次第に御座います。しかし着の身着のままの逃避行にて、食事も儘ならず然りとて購入し得る金銭も持ち合わせておりません。業腹ではありますが、武力にて我らの価値を示して交渉を有利に進める心積りでおりました。我の行いを正当化するつもりは毛頭有りません、罪は罪、裁きをお望みならば甘んじて受けましょう、しかしながら後ろに控えし者達は我の命に従ったまで。なにとぞその事を踏まえて寛大な仕置きを賜ります様深くお願い申し上げます」
そう言って頭を下げたブライアンに対して、後ろに控える部下達は違を唱えることもない、最初からその事は織り込み済みで、力によって食糧を得る腹積りはなく、戦闘集団としての力を示してその価値を評価してもらうためのパフォーマンスであった様なのだ。
しかしフォスターの出現によって思いもよらぬ事態へと成ってしまっては、事情を話してこの事の正当性を知ってもらう他無かった。
しかしブライアン達は事実上敗北した事には変わりは無い、敗者は勝者の理を甘んじて受けねばならない、しかし理不尽な要求には応じるつもりはない、もし彼の武人が我らを村を襲った犯罪者として裁くなら、討ち死に覚悟で抵抗する腹積もりではあったのだ。
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